在宅ワーク

【2025年までに在宅で年収420万円を目指す理由】自己紹介と、長男の夢

突然の転勤、不登校に動じずに、子どもの夢も叶えられる自分になる!
2025年3月までに在宅で年収420万円を達成するまでの道のりを公開中!

きたの こはる
きたの こはる
はじめまして!
きたの こはると申します。

このサイトをご覧いただき、ありがとうございます。

私は医療事務として病院で正社員勤務しながら2人の子育てしている、年収216万円の30代半ば主婦です。

2025年3月までに在宅で年収420万円(月収35万円)
2026年には年収600万円を安定的に得て
2031年には2000万円の貯金を達成すること

在宅での収入を増やしてこの目標を達成するために現在はビジネススクールに通い、本格的に活動し始めました

閲覧者B美
閲覧者B美
どうしてそんなに収入を増やしたいの?

今回の記事を通してその理由や経緯をお伝えしてまいりますが、

まず、結論を先にお伝えします。

現在の年収216万円でも、正直「このままの生活」を守っていくには特に大きな問題はないのですが

・子どもの具体的な夢を叶えるための金銭的余裕を作るため
・次の転勤で8回目の転職を検討せずとも収入を得られるスキルの習得
・不登校気味な長男への急な対応ができる家庭環境を整えるため

現状維持をしていても、これらを叶える能力、そして財力がないということを自覚したことがきっかけです。

 

「1年後に在宅で年収420万円」という目標は、決して適当に設定したものではありません。

この目標は、日本を代表するWebマーケティング界の第一人者、青木創士さんから引き継いだ内容です。

青木創士さんとは…

株式会社キークエスト 代表取締役
0から国内トップレベルのWEBマーケティング人財を輩出する、日本唯一の実戦型総合WEBマーケティングスクールを運営。
SEO対策、LINEマーケ、SNSマーケ、Youtubeマーケ、TikTokマーケ、WEB広告運用全てに精通する総合WEBマーケティングスペシャリスト。
コンサルした企業は、中小企業から上場企業を含めて累計300社以上。日本初の総合WEBマーケティング教育スクールを立ち上げ、WEBマーケ教育に注力。

知る人ぞ知る、スキル0だった多くのフリーランスを成功に導いている現役のプロマーケターにご相談の上、お墨付きとなった具体的な目標です。

私のようにWebスキル0、経験0だった人も

講師の青木さんから学んだことを素直に実行し続けた結果、それぞれの収入目標を達成されたそうです。

きたの こはる
きたの こはる
私も素直に実行して、必ず達成します!

 

そんな実力ある専門家と共に、実績に基づいてここ10ヶ月における活動計画を具体的に練り上げてきました。

カリキュラム通りに知識を得るだけでなく、実践と改善を繰り返していけば10か月後には自分の努力次第で達成可能だと確信しています

そのカリキュラムが、こちら。

このWEBサイトでは、1年後に在宅で年収420万円を得るために奮闘する私の経験や知識をリアルタイムで発信していくことで

・今後、在宅で収入を得ていきたい
・現状の働き方を変えたいけど動けずに悩んでいる

私と同じような悩みを持つ方々のヒントとなる有益な情報を提供していきたいと思っております。

今回は私が在宅で収入を得ることを目指した経緯やきっかけをお伝えします。

よかったら、最後までお付き合いください。

基本情報

名前:きたの こはる
職業:病院の医療事務(7年目)
趣味:SNSの活用、糖質控えめダイエット
好きな食べ物:お刺身、卵焼き、コーヒー

幼少期~中学生:学力は裏切らない

緑豊かな多摩地域で誕生。勤勉な父、教育熱心な母に育てられました。

大人から「すごいね」「いい子だね」と褒められることが何よりも大好きで、認められるためだけに生きていた人間でした。

・3歳からピアノを習い、高校卒業まで継続
・校歌斉唱・音楽会では先生から指名されて必ず伴奏を担当
・5歳から塾に通い始め、テストは常に高得点。成績は「優秀」
・先生に好かれる優等生タイプ。席はいつでも最前列をキープ

とにかく人から褒められたい!認めてほしい!

…という思考だったので、大人から自分はどう見られているかを常に考えて行動していました。

その根底にあったのは、教育熱心な親の言葉。

「良い成績を取って良い学校に行き、良い就職先に行けばレベルの高い人が集まる環境に身を置くことができ、稼げる自分になれる」

物心がついたころから呪文のように聞いていた、この言葉があったからだと思います。

そんな私が小学校3年生になったばかりの頃、仲が良かった友達グループの全員から突然無視されて、仲間外れにされました。

この初めての挫折をきっかけに人と関わることに臆する性格になったのですが、それと同時に人からの評価に繋がりやすい勉強がより一層好きになりました

・勉強さえ出来れば人に褒められて、自分自身を認めてもらえる
・仲間外れのような低レベルなことをする人がいない環境に行きたい
・頭のいい、レベルの高い人ばかりが集まる環境にいけば友達ができるはず

この挫折経験を機に「仲間外れにした人たちを見返したい」という反骨精神まで育ち、努力し続けることができたので今となっては成長に繋がる良い経験だったと思えています

しかし、学習範囲が広がるにつれてテストで100点以外の点数を持ち帰ったり、全ての成績を維持できないことが増えました。

「残念、あと5点で100点だったのにね」

「勉強して良い成績を取って優秀な学校に入れないと、将来苦労するよ!」

やりたいことをやる時間を削りながら必死努力していても、100点でなければ大人から褒められる機会は自然と激減。

勉強も評価に繋がりにくくなったことで、私は生きる意味を見いだせなくなりました

もちろん子どもの将来を考えてこその言動なので、両親には心から感謝をしておりますが

・学校では、特に楽しいこともなく嫌な思いをして帰宅
・家では、100点を取ってこなければ一切認められない

誰からも受け入れられることもなく求められることもない、こんな自分には生きている価値がないのではないか…と、ただひたすら影で泣くしか出来なかったこの頃。

私はその時、心に決めました。

ちゃんと自分の力で稼げるようになってこの家、この環境から一刻も早く出よう

今でも覚えています。
10歳を目前にした、小学4年生の時でした。

自分の力でお金を得るために

もっともっと勉強して良い学校に入る

良い職場に入って高い給料をもらう

実家を出て、住む場所も自分で選ぶことができる

関わる人間も、きっと質のいい人ばかりになる

レベルの高い人と出会える環境に身を置いて、更にお金を稼げる

こういった単純な思考回路からとにかく、人から評価されることに重きを置きました

・テストで良い点を取って良い成績を維持
・積極的に役職を得て、客観的立場を確立
・唯一の肩書きである代表委員には積極的に立候補
・一番厳しいと有名なバスケ部に未経験から入部
1年生のうちにスタメン入りしてキャプテンを拝命
・定期テストでは安定的に高得点、成績も常にオール5

こういった肩書きや実績を一つひとつ積み重ねることで明るい未来に繋がる気がして、ワクワクしたことを覚えています。

きっと、頭の良い人が集まる環境に行けば友達も増えて毎日楽しくなるはず!

と考え、自分の将来に繋がるであろう勉強にひたすら注力。

結果的には、「良い高校・大学に行き、良い職に就け」と繰り返し唱える親に従い、割と偏差値が高い都立高校に合格。

着実に、自分の力でお金を稼いでいくための道は歩めている!と信じていました

高校生:学歴至上主義の成功体験

 

高校から大学までの生活は、青春を謳歌した幸せな時間でした。

まず想像していた通り、偏差値が高い高校には器の広い人が多く、気の合う友人がすぐ出来て充実した日常を楽しめました。

やはり、良い環境には素晴らしい人が集まるんだ!

あの辛い日々を乗り越えたことへのご褒美だと思い、人間関係にも悩むことなく楽しい日々を思い切り堪能しました。

ただその頃、悩みの種となったのはお金と時間

自分で稼ぐ経験をしてみたくて始めたアルバイト給与の半分は、

家に入れるよう親から言われていたので貯金も出来ず、生活している中でお金は魔法のように消えていきました。

そして両親が厳しく、門限が20時と決まっていたので友達に謝りながら先に帰らねばならないという不自由さ。

反抗期と呼べるような時期は特になかったのですが、ここでも

早くこんな環境から脱出して、お金や時間に縛られずに自由になりたい

という気持ちはメラメラと沸き起こり、良い評価に繋がりやすい勉強へと再び全力を注ぎました

その甲斐があって高校でも良い成績を保つことは出来ました。

…が、

勉強しかしてこなかったため将来やりたいことは特に定まらず…。

大学受験においても「良い大学へ…」と言う親に結局は従い、有名大学の入学を目指すことを決意。

MARCH以上の大学を受験、無事に希望した大学・学部に合格を果たすことができました。

 

大学生:将来の夢が一つもないことに悩む

 

大学生活の中で出会う人は将来の夢を持った志が高い人が多く、自分とは異なる価値観に触れて大きな刺激を受ける毎日でした。

それと同時に、今まで明確な目標や夢を持たずにひたすら勉強しかしてこなかった自分に対して疑問を持ち始めたのもこの頃。

大学の次に見越すべきは、企業への就職。

就職する際に評価されるのは成績というよりも今まで継続してきた経験、体験を通して得た学びを重視されることになるので

明確な夢を持って行動に移している周りの人を見て焦りを感じ始めました。

自分が唯一持っている「勉強」という武器が通用しないからです。

明確な夢や興味あることがなかった私は、とにかく強みや就職活動に活かせる経験を増やすために動き出すことを大学1年生から開始

カフェのアルバイトに加えて新聞社で新規契約、契約更新をお願いする営業を始めたり

多くの業界におけるインターンに応募して積極的に受けてみたり、不安を拭う為に行動を止めずに動いてきましたが結局自分の夢は在学中に見つからず

最終的には就活においても名ばかりの有名企業ばかり面接を受けて、大学時代の経験を評価していただき志望していた有名企業に営業として入社が決まりました。

社会人:稼ぐ力を得られる道から脱線し、多くの挫折

「良い就職先に入れば自分の力で稼げるようになる」

その言葉を胸に、有名企業の営業として就職を果たした後は

誰よりも売上を上げて一刻も早く親元を離れたい一心で激務に耐え続け、プライベートの時間も寝る間も惜しんで、とにかく働きました。

自分で稼いで自由を手に入れるために、今まで踏ん張ってきたんだ!

住む場所も、食べるものも、一緒にいる人も、

ぜんぶ自分で決めて自分で責任を取りたい!

その強い思いから自分の体調を省みる余裕等もなく無茶な生活を続けた末、

結果的に健康を害してしまい、1年経たずして有名企業を退職。

小さいころからずっと夢見てきた「良い就職先」を、自らの自己管理不足によりあっけなく手放すことになりました。

今までの忍耐、努力が全て水の泡となった自分の人生に大きく落胆しました

 

その後、体調が改善しない中でキャリアを途絶えさせたくない気持ちで転職活動を開始。

退職した翌月に就職した企業でも営業として働きましたが夫の転勤により、約2年弱の勤務で泣く泣く退職。

転勤した後もすぐに就職しましたが、妊娠が発覚したことを機に子育て環境を整えるために退職。

出産した後の仕事のことを考えると、お腹が大きい妊娠期間も性格上じっとしていることはできず、

安静にしていなきゃいけない時間を少しでも有効活用するため、資格取得に励みました。

どの地域にもある医療機関の資格であれば出産後にも場所を選ばずきっと活かせるはず!と考えて医療に関わる資格を独学で3つ取得。

無事に出産した4か月後には、働きたい気持ちが抑えられず面接を受けて

新しい職に就いてフルタイムで働きながら、初めての育児や家事に奮闘する日々。

ゆっくり子どもに母乳を与える時間も限られているため仕事中は搾乳が間に合わず胸が痛くて熱が出ることも多く、1年間のうちに乳腺炎を5回も発症。

それでも、働くことだけはどうしても諦めたくなかったので

2人目出産、転勤…と家庭環境が変わる機会が多い中でも転職を繰り返し、気が付いたら今の医療事務職までに7回も転職を経験してきました

 

これまで歩んできた私の人生をざっくりと書いてみました。

そう、今までの人生、私は目の前に敷かれたレールを進む(勉強)のみで、自分のやりたいことや目標を見つけることなく生きてきました

人に誇れる特技もなく、魅力的な実績や大きな挑戦の中で経験した大きな挫折もなく、

限られた環境の中で最善を尽くして、ほどほどの状況を保ってきました。

だからこそ、「人よりできることが何もない」「強みがない」、学歴や肩書きに囚われてきた人間となりました

ビジネスを決意したきっかけ:働き方に対する悩み

在宅で収入を得たいと考えたのは、働き方に対する悩みがきっかけでした

転勤族の妻として子どものお迎えがしやすく、家族の状況に合った場所で安定した収入を得ることを目的に医療事務の資格を活かして何度も転職。

働く環境が転勤により数年単位で変わることに加えて出産・育児のために、結果的に転職を7回も経験してきました

資格があることによって引越し先の医療機関で雇っていただけることも多く、これまでの危機は何とか乗り越えてこれました。

しかし、更なる試練が私を待っていました。

小学生になったばかりの長男が不登校気味になったのです

完全なる不登校ではないものの、いつ気分が落ち込み突然学校を休むことになるか予測できない状況にも臨機応変に対応することが必要となり

仕事を当日になってから休むことが年に10回以上もありました。

小1の壁ってこれか…、と思い知りました。

職場の人たちからは「子どもを理由に休めていいね」と言われ

長男に対しても、学校に行くまではご機嫌を損ねないように気を遣って毎日を過ごし、

ちゃんと親として学校に行かせなきゃ」「勉強して良い学校へ行って…」と教育熱心な両親からはダメ出しを受けて、

過去の自分と長男が重なり自己嫌悪に陥り、次第にメンタルが不安定になっていきました

そんな状況が長く続き、自分の働き方に悩む機会が非常に多かった、ここ数年間。

今後の長男、自分自身の心理的安定性を考慮すると私が家にいられる家庭環境を整えることが最適な選択だと考えています。

私が家にいることの懸念点は、やはり収入面

私の給料はいま現在、全て生活費と保育料で消えており、貯金は現在わずか100万円

そして今の仕事を辞めて収入が途絶えてしまったら、年齢的にも8回目の転職はさすがに難しいという現実があります。

そんな八方塞がりの状況を打破するため、転勤や不登校に悩むことのない生活を目指しながら家で収入を得られる在宅ビジネスに興味を持ちました

しかし現状、私が持っているのは医療事務に関する資格のみ。

・メル〇リで不用品を出品
・自己啓発本でノウハウをコレクション
SNSでの副業情報収集

こういった活動を自己流で行いましたが、もちろん一年以上大きな収益化には至りませんでした。

それでも諦めずに在宅で収入を得るために学び続けているのは、30代半ばで初めて「人生における目標」を見つけたからです

人生で初めて見つけた私の目標:長男の夢

小さな頃から非常に理解が早く、人の気持ちを考えて行動ができる長男。

言葉にしていない人の感情も汲み取って人が喜ぶことを進んで行えるだけでなく、小さなことにも「ありがとう」と感謝の言葉を忘れない優しい心を持っています

保育園に通っていた頃は、よくお手紙を家族に書いてきてくれました。

「まま、いつもありがとう」「おしごと、がんばってね」

まだ平仮名やカタカナを習っているわけでもない時期に、自分の力で調べながら毎日のように書いてくれるお手紙に、私は毎回感動しました。

長男の優しさや気持ちは、正社員としてフルタイムで働きながら子育てや家事に追われる忙しい日々を、何とか乗り越える原動力にもなっていました

そんな、小学校への入学を誰よりも楽しみにしていた長男が、はじめて学校にいかなかったのは1年生の夏のことでした。

理由を聞いても「疲れた」、「とにかく行きたくない」と言うだけ。

彼が学校に行きしぶる理由は「学校がつまらないから」。

ゲームが大好きな彼にとって学校で過ごす日常は刺激が少なく、煩わしい人間関係が伴う面倒な場所のようです。

きたの こはる
きたの こはる
今までの人生から、彼の気持ちが痛いほどよくわかります。笑

そんな不登校気味の長男には、大きな夢があります

本格的なプログラミングが学べる特別な高校への入学です

学校に行くことを渋ってはいますが勉強は嫌いなわけではなく、むしろ親から何か言われずとも積極的に机にドリルを広げて毎日、進めています。

希望の高校に入学して、自分の好きなこと、やりたいことを極めるために努力しているのです。

最終的な彼の目標は、自分のように「学校がつまらない」と感じる人が行きたくなる学校を作ること

目標に向かって日々勉強に取り組んでいる彼の姿は、私にとって大きな誇りです。

前述の通り、私自身はこれまでの人生において30年以上「やりたいこと」を見つけることができずに生きてきました。

「良い学校、良い就職先に入れば幸せになれる」

物心ついた時から聞いてきたその言葉を胸に、ひたすら成績を維持して有名な大学、有名な企業に就職することだけを考えて生きてきました。

結果、年収216万円の正社員

自分の力では「やりたいこと」を見つけられない人生を送ってきました

しかし、まだ小学生の長男は既に自分の目標を見つけ、その夢に向かって努力しています。

そんな我が子が誇らしく、見つけた夢を叶えてあげられる親でありたいと思っています。

しかし、我が家の貯金は現在、100万円以下。

優しい夫にも子宝にも恵まれ幸せですが、魔法のように消えていく私の給与。

この現状が、私にとって人生はじめての目標である、

子どもの「やりたい!」を叶えるために、在宅で収入を420万円目指すことを見つけるきっかけとなりました

興味や夢を金銭的な理由で制限することなく、彼らが望む未来を実現させるためにも、いま以上に稼ぎたいと強く願うようになりました。

ビジネスを始めるにあたり:リモラボ入会

「在宅で収益を得る」という目標を持ちながらも最初はそのビジョンが全く見えず、どこから手をつけていいのか分からない状況にありました。

というのも今の世の中、WEB上ではもちろん本屋にいけばビジネスや起業に関する情報が溢れているので

多くの情報の中から「何が正しくて、自分は何をすべきなのか」を精査する、ということが私には出来なかったのです

そんな時に出会ったのがオンラインスクール「リモラボ」。

SNSやWEBを活用したビジネスの基礎となるマーケティングやデザインの知識、

そして在宅での収入を得るためのノウハウを学べるだけでなく、現役で活躍する専門家による添削を受けながら実践できる環境が整っています。

ビジネス経験も少ない女性に特化しているため同じように働きながら子育てをしていたり、働きながら収入の柱を増やしている先駆者も多いことが魅力の一つ!

空いた時間を活用して有益な様々なセミナーにも毎日のように参加しました。

その中で出会ったのが、現在お世話になっているスクールの講師です。

この先生はWebマーケティングの分野で長年プロとして活躍されており、自身のスクール運営の傍ら、多くのフリーランスや大手企業の売上向上に貢献されていました。

私が特に興味を持ったのは、WEBマーケティング

先生によれば、現代の多くの企業が直面している課題を解決する鍵は「WEBマーケティング」にあるとのこと。

WEBから収入を得るためには、WEBマーケティングの知識が必須であり、

それを身につけ、活用するスキルを磨くことで「絶対的な価値を提供できる自分」になることができます

そして、企業が手放したくない人材となり、自力で稼いで生きていける未来が切り開けると教えてくれました。

これを聞き、多くの方から評価を得て求められるスキルを身に付けたい自分にとっては最後の大きなチャンスだと確信

しかし受講内容としては今後間違いなく活かせる最先端の情報なので正直、決して即決できるような金額ではありませんでした。

しかし、今の私には明確な「目標」があります

それは、「1年後に在宅で年収420万円を実現し、家にいながら子どもの夢を叶えるための貯金2000万円を7年後までに貯める」こと。

この目標は、私の人生において必ず果たさねばならない使命です。

長男が夢見ている高校へ7年後、入学させてあげるためには

転勤や不登校に対応できる在宅の仕事で安定的に収入を得ながら、7年以内に2000万円を貯金する必要があります

2人の息子が大学に入学するまでに私立大学4年間にかかる学費の平均額600万円

そして長男が7年後に入学を希望している高校の学費を踏まえて計算してみると、最低でも2000万円は貯金が必要です

いま現在、全ての収入は生活費と教育費に消えていて貯金は100万円以下。

残り7年で2000万を貯めるためには月に22.6万円ずつ貯金する必要があります

この現実を考えると、「現状維持はリスク」でしかなく、

このままでは長男の夢を叶えてあげられないどころか、「お金を理由に諦めさせる」ということに繋がりかねません

7年後までに2000万円の貯金を実現するためには、家にいながら収入を得られるスキルを身につけ、不登校になった日でも柔軟に対応できる時間的自由、

そして誰にも迷惑をかけることなく自分自身でその日の働き方を決められる精神的な自由が必要です。

これを1年後に達成するには、決して容易ではない覚悟が必要です。

1年後、と期限が差し迫っている私は覚悟を決め、オンラインスクールに入会したことで将来のビジョンを初めて具体的に描くことができた瞬間でした。

最後に

改めまして、私の目標は

2025年3月までに在宅で年収420万円(月収35万円)
2026年には年収600万円を安定的に得て
2031年には2000万円の貯金を達成すること

月収35万円という目標収入は、家族にとって最低限必要なラインを確保するためのものであり、これを実現することで子どもの未来への選択肢を広げることに繋がります

私はこれから、人生をかけて目標達成を目指します。

そして、将来的には在宅で収入を得たい!と考える方々に自信や勇気を与えられる存在となり、その一助となることも私の大きな目標の一つです

とは言っても、 私はまだビジネスを始めたばかりの未熟者です。

これから私がリアルタイムで共有する、成功・失敗体験を一種の実験と捉えていただき

不登校小学生を育てながらフルタイム勤務をしているママがWebマーケティングに挑戦した場合、1年後に年収420万円という目標達成が可能なのか

それを達成するまでのプロセスを皆さんの目で、確かめていただければ幸いです

是非、成長の様子を定期的にチェックしてみてください。

長い文章となりましたが最後までお読みいただき、ありがとうございました。

このブログをきっかけに在宅で収入を得られた方々と、いつかお仕事でご一緒できる日を楽しみにしております